
勉強会の質疑応答や感想
当たり前を疑うということは、「自分が節約している」「できている」ということが本当なのか疑うということでしょうか?
(今回の話を聞いて自分の当たり前を疑おうとした時、外食にいけること、ゲームできること、家族もいることがそもそも幸せだなと改めて感じました。
結局、当たり前を知ることで、満足感を得られたら、幸せを感じるので足るを知る!ってことになるのですかね?
例えば、家族と遊びたい、かと言って公園で一人で遊んでも楽しくない。自分にとっての満足感がそれだと満たないというときは、
上手く言葉で言えませんが、今回の話を聞いて、自分が節約してる!できてる!ということが、本当にそうなのかということ疑うという考え方を待ちましょうということなのでしょうか。)
質問?
結局なにが言いたいかといいますと、当たり前を疑って行くと、もしかしたら今の状態で満足できるものがあるかもしれない、本当の満足に気づくかもしれない、基準を下げても案外満足かもしれない、そしたら、人生の満足度に繋がる、ということが伝えたかったことでしょうか?
自分でもなに言ってるかわからなくなってきました。すみません。
【回答】
「足るを知る」という解釈は様々なので、私の考え方をお伝えしますね。
私が伝えたいことは、2つです。
🔶1つ目
「今の状況を疑う」ことをしなければ、人の考えは止まってしまうということです。
私は節約を頑張っている!というのは事実だと思いますが、客観的にそれがそうなのかは違うという見方を持った方が自分の放漫さや未熟さに気が付けるというお話です。
もちろん、頑張っていることを否定したいというわけではありません。
頑張っていないからダメ、頑張っているからよい、みたいな短絡的にそんな考えを押し付けたいわけでもありません。
でも、多くの方が「自分の状況」を当たり前だと、現状維持を選ぼうとしてしまうものなのです。
例えば、私は100万円貯蓄するぞ!という目標を立てた方がいたとします。
その方が、毎月1000円貯蓄した!と言っている場合、その人の中では貯蓄1000円頑張っている!というお話になります。
でも、現実的には月1000円貯蓄を続けても、100万円貯めるためには約83年もかかってしまいます。
これを本人が気が付いていない場合、私は頑張っている!!!だからこれでいいんだ!!と言われてしまうと、その人の考えはそこで止まります。
つまり、改善の余地がなくなってしまいます。
本人が「今の状況を疑う」ことをして本当にこれでいいのか?を疑って考え方を変えたり、改善したりしなければ、現状は何も変えられない、ということを伝えたいのです。
🔷2つ目
「今の幸せは当然なのか」をよく考えるということです。
私を含め、多くの方は、今の現状がどれだけ恵まれていて、どれだけ幸せな状況なのか客観的には理解できていません。
例えば、水道水が飲める国って世界でも「9か国」しかありません。
日本では水がそのまま飲めるって当たり前ですが、世界では当たり前ではありません。
日本という枠の中にいるので、恵まれている現状に気が付けないのです。
他にも、電車が時間通りに来る国なんて、日本と他にはスイスなど数か国しかありません。
にもかかわらず、「1分でも遅れたら」クレームを入れたり、JRは謝罪のアナウンスをします。
つまり、気が付かないうちに、「当たり前」の恵まれた状況に感謝できなくなったり、満足できなくなったりするものなのです。
わかりやすくするために、世界と日本の比較で水と電車のお話をしましたが、身近なところにもありませんか?
あなたがなんとなくで送れている日常や使っているサービス、お金に対して、「ああ~今ってけっこう贅沢していたんだな~」とか「あ~今って幸せなんだな~」って気が付くこと。
すると、世界の見え方は大きく変わると思います。
「欲望」だけに支配されて、あれがほしい、これがほしい、ということを言い続けても満足する段階はきません。
どこかで落としどころや自分の満足するところを理解する必要があります。
それがわかってくると、自分のことがわかってくるので、自分をうまくコントロールできるようになってきます。
いろいろな考え方や知識や他人の意見を受け入れられるようになるので、今の自分の状況で幸せだと、心の底から言えるようになりますよ。

